欧米以外の中央銀行が猛然と金地金を買い始めた
金の価格は通貨の価値=購買力のモノサシであり、金の値上がりは通貨の価値の下落を示します。その金価格は日々の市場で需要と供給によって決定されます。
2010年、金の需要に大きな変化が起きました。下のグラフをご覧ください。
欧州の中央銀行は金価格を押し下げるために保有する金地金を20年近く売り続けましたが、価格が下がらなくなり、金売却を止めてしまいました。一方で中国や新興国などが金地金を買い続けたため、世界の中央銀行による金取引は2010年を境に「売り」から「買い」に転じました。つまり、中央銀行は金価格を押し上げる側にまわったわけです。
世界の金地金生産量は年間3300トンほどですから、中央銀行が数百トン規模の売り手から同規模の買い手に転じたことが、金価格に大きな影響を与えるのは当然です。2001年の平均価格は1オンス=271ドルでしたが、2011年には1572ドルとなり、10年間で6倍近くも上昇しました。
そのうえ、近年になって中央銀行による金購入量が急激に増えました。下のグラフをご覧ください。2022年は、一気に前年の2倍以上に増えて1000トンを突破し、23年も、そして今年も、この勢いが続いています。購入国は、アジアでは中国、インド、シンガポールなど、中近東ではトルコ、イラク、カタールなど、南米ではメキシコ、ブラジルなど。欧州のNATO加盟国でも、ユーロを使用していないポーランドやチェコの中央銀行は独自通貨を守るために「金地金購入」を政策として掲げました。
この激増は2021年に起きたロシアのウクライナ侵攻がきっかけだと、金の専門家は見ています。米国と欧州連合はウクライナに武器や資金を送るとともに、ロシアの戦費調達を妨害するために石油やガスの輸出規制などさまざまな経済制裁を課しました。経済制裁の一つが、ロシアが米欧に預けている約3000億ドル分の準備資産を使えなくすることでした。
米ドルが基軸通貨となって世界経済を支配してから、「米国債は世界でいちばん安全」とされ、ほとんどの中央銀行は準備資産として米国債などを保有し、米欧に預けてきました。「ドル本位制」という言葉も生まれました。
ロシアの準備資産を凍結したことは、この安全神話を根底から揺さぶったのです。ウクライナは「ロシアの3000億ドルを全部よこせ」と叫び、米欧の一部でも「凍結」にとどめずに奪取してしまえという声が上がりました。
台湾をめぐって米国と対立している中国はもちろん、米国と同盟関係にはないアジアやアラブ諸国などが驚いたのも当然です。米国債を預けていると、欧米の都合で「凍結」や「奪取」されかねないと気づき、政治的なリスクがまったくない金地金の購入を増やし始めました。
多くの場合、中央銀行は保有する米国債を売り、その代金で金を購入します。つまり中央銀行の金購入量が増えると、米国債に売り圧力がかかります。米国債が値下がりすると、長期金利が上昇して米国経済の悪化につながります。
米欧の金融界では、ロシアの資産凍結をきっかけに経済が悪化することを心配する声も出始めました。とはいえ、ウクライナ侵攻から3年余が経過して、米欧の武器庫は底をつき、財政支援の余裕もあまりありません。ロシアの凍結資産に手をつけたいが、その悪影響も怖い。論議が長々と続きました。
ようやくロシアの凍結資産の使い方が決まったのは、6月のG7イタリアサミットです。米英・カナダ・日本が融資して500億ドルの基金を新設し、ウクライナの軍事支援や復興のために使う。この融資の返済には、年間30億ドルと見積もられるロシアの凍結資産の運用益を当てる――というものです。凍結資産には手を付けないが利息収益は取り上げる、ということです。
姑息というか、何とも中途半端な制裁ですが、これで米ドル資産の「安全神話」が復活したかというと、まったくそんなことはありません。
ロイター通信がことし6月19日に報道した「ワールド・ゴールド・カウンシル(WGC)の年次調査」によると、世界の中央銀行の29%が「自国の金準備を増やす」、81%が「世界の金準備はさらに増える」と答え、調査開始以来、最高の数字となりました。
当然でしょう。この5年間で金は80%値上がりしましたが、米国債は7%下がりました。米国債を持ち続ければ損をする恐れがあります。通貨の信認を守ることを第一の責務とする中央銀行は、下がり続ける米国債を持ち続けたいとは思わないでしょう。
世界の中央銀行の外貨準備高に占める米ドルの割合は、2000年代初めに70%以上ありました。それが現在では58%という史上最低の水準に低下しています。中央銀行によるドル資産売却と金地金の購入は、終わる気配がありません。(グラフはピクテジャパン、以下次号、サイト管理人・清水建宇)