日本学術会議が「尊厳死」認める
1994年5月26日、日本学術会議の死と医療特別委員会は、「一定の要件のもとに尊厳死を許容しうる」とする報告を学術会議の総会に提案し、承認を受けた。同委員会は、尊厳死を「もっぱら延命のためにのみ実施されている医療を中止すること」ととらえた。中止の条件として、①医学的に見て患者が回復不能の状態にある、②患者が意思能力のある状態で尊厳死を望むと表明している、③医療の中止は担当医が行う、の3つを挙げている。延命治療が問題になる事例は多様なため、法制化は積極的に求めず、当面は適正化を医療現場にゆだねる、とした。
◆いま◆
「日本尊厳死協会」は2003年、立法請願書を厚生労働大臣に提出し、国会での論議が続いている。同協会は終末期治療の患者に「「私の希望表明書」の作成を呼びかけている。
1994年3月21日、江崎グリコ社長誘拐事件の公訴時効成立
最近、コンピューター上のデータを暗号化し、その解除キーと引き換えに個人や企業に身代金を要求するランサム ウェアという<人質>事件が多発している。ここには犯人や企業の「人間」は介在しているが生身の「人間」の接触・対峙はない。
1959年3月18日夜、兵庫県西宮市の自宅から江崎グリコ社長が拉致され、犯人側はグリコに現金10億円などを要求。3日後、監禁されていた水防倉庫から社長は自力で脱出した。生身の犯人による生身の人間の拉致誘拐事件だ。5月、かい人21面相を名乗る犯人グループは、マスコミ各社に挑戦状を送りつけ、日本中が事件の成り行きに固唾をのんだ。劇場型犯罪だ。青酸ソーダ入りの菓子をスーパー、コンビニなどに置き、グリコだけでなく、森永、丸大食品、ハウス食品もかい人21面相のターゲットになった。関西弁で警察の捜査を揶揄し、特にTBS系の森本毅郎の朝の番組にまず挑戦状を送り、日本中の耳目を集めた。私も毎朝テレビにかじりついて見ていた。
ハウス事件の時、情報が共有されていなかったため、事情を知らなかった滋賀県警のパトカーが犯人グループの車を発見するが取り逃がした。滋賀県警は猛烈な批判を浴び、翌年、当時の県警本部長が焼身自殺を遂げた。60年8月、犯人グループは「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」と事件終結を宣言。その後動きはなく2000年に一連の事件すべての時効が成立した。発端となった社長誘拐事件の時効が成立したのが94年3月だ。この犯罪史に残る大事件は未解決のまま幕を閉じた。
当時、思わぬとばっちりを被った。事務所があった場所が、グリコ社長宅の近くだったこと、同じ学校の卒業生であったこと(この事件が報道されるまで全く知らなかった)、私が学生時代、学生運動にかかわっていたこと等々で、何回か警察の<訪問>をうけた。ある日などは、事務所前に、一見して刑事とわかる人相の悪い2人の張り込みもあった。時効成立前に、新米刑事が1人、「何か知っていることはないか」と尋ねてきた。「あんたみたいなトンチンカンな捜査をしてるから犯人は捕まらへんのや」と言ってやろうと思ったがやめた。″溺れる者は藁をもつかむ″ しかし、つかまれた「藁」が冤罪の奈落に貶められることもある。
社長宅の近く、つまり事務所の近くのコンビニに「どくいり きけん」のメモを張った青酸菓子が置かれた。B-29が焼夷弾を落としに来たのかと思うほど(古いね~)、多くの報道関係のヘリが飛んできて終日悩まされたこともあった。私なりの小さな「グリコ森永事件」の思い出だ。
1993年、タイ米 を食べた
今から31年前の1993年にはコメ不足が起こり“平成の米騒動”とまで言われた。
米屋やスーパーの店頭はコメを求める人でごった返した。ラニーニャ現象による80年ぶりの大冷夏と、梅雨前線が長期間にわたって停滞したことによる日照不足のために、米が生育しなかったからだ。この年の水稲の収穫量は、前年の74.1%。また、米の作況指数【=米の出来具合。良が106以上、不良が94以下】が74と「とんでもない不良」だった。量も質も最低状態。加えて米の在庫量も23万tと少なかった。政府は米の安定供給と価格高騰を防ぐために、海外から約259万tの米を緊急輸入した。日本で普通に食べられているうるち米を輸出できる国が見つからず、うるち米以外の米を輸入せざるを得なかった。まず、93年11月にタイ米が輸入された。しかし、それだけでは量が足りず、94年には中国、アメリカ、オーストラリアなどからも輸入した。
タイ米を、うるち米を炊くように炊いてみた。まずかった。そこで水を減らし、かたい目に炊いてカレールーをかけて食べてみた。すこしましだった。
♬ All the leaves are brown And the sky is gray~~
ママス&パパス「夢のカリフォルニア」でも歌いながらタイ米の後、カリフォルニア米を食ってやろうかと思ったが、うまくないという評判を耳にし、やめにした。
美食家とはほど遠い私だが、口がうるち米に馴致しているのにおどろいた。緊急輸入(=2国間の商取引)とはいえ、タイ米を生産し、輸出を承諾してくれたタイの人たちに感謝だ。この“平成の米騒動”を体験した私には、現下のテレビの大食い番組などには呪いの言葉しかない。
日本の食料自給率は、戦後からずっと低下しており、現在はカロリーベースで38%(世界53位)、生産額ベースで58%(世界29位)。
*カロリーベースとは、国民ひとりあたりの1日の摂取カロリーのうち、国産品が占める割合を計算したもの。米、小麦、油脂類の影響が大きい。 一方、生産額ベースとは、国民に供給される食料の生産額に対する国内生産の割合。単価の高い畜産物や野菜、魚介類の影響が大きい。一般に輸入品より国産品の方が高いので、生産額ベースの自給率はカロリーベースより高くなる。
農林水産省によると、日本の食料自給率が低い理由は、食糧安全保障の脆弱化、農業・農村の衰退、食文化の多様化(コメを食わなくなった)などの問題が絡み合っているため。
一例として、食料安全保障の強化という問題をとってみる。ロシアはリン、カリウムといった化学肥料の大生産国だ。ロシアへの経済制裁のため欧米諸国、日本にもそれが入ってこない、また入ってきても価格が高い。肥料がなければ農業はできない。肥料だけでなく、外から食料が入ってこない状態にある。コロナ以降、食料の輸出に規制をかけ自国優先にしている国が20か国以上になっている。30%程度の自給率しかない日本の食料安全保障をどうするか、エネルギー政策を含め真剣に考える時だ。つまり、アメリカや西側諸国の顔色を窺って安全保障を考えるのではなく、したたかに距離をとりながら各国との外交を展開することが喫緊の課題だ。