「金」の眼鏡で見た おカネの風景

④「唯一の正貨」から「金を所有すれば懲役刑」へ

 米国における「金(ゴールド)」の地位は、唯一の正貨として始まり、金本位制の廃止を経て、今では連邦税制で「野球カードと同じ趣味の商品」にまで貶められました。その変遷をたどってみます。

 アメリカ合衆国が1776年に独立したとき、おカネの基本は金と銀でした。独立の2年後に制定された最初の合衆国憲法では、「各州は(中略)金銀貨幣以外のものを債務弁済の法定手段としてはならない」と厳格に定めています(第1条第10節)。つまり、金は唯一の正当な貨幣であり、「おカネ」そのものでした。

 のちにドル紙幣がつくられますが、連邦政府は紙幣の価値を金で裏付けるため、法律で1オンス(31.1g)=20.67ドルと定めました。1ドルが約1.5gの計算です。日本での現在の金価格を当てはめると、1ドルを2万円近くに設定したわけです。

 米国における金は、その後、2度にわたって激変します。最初は1929年10月の株式暴落に端を発した大恐慌が引き金でした。株式や農産物の下落が続き、1000余の銀行がつぶれ、失業者が街にあふれました。

 「金本位制が廃止されるのでは」という噂が人びとを不安に陥れました。有名な経済学の教授がハーバード信託銀行で預金をすべて金貨で引き出し、それを自分の貸金庫に移したことが、またたくまに広がり、各地で群衆が銀行になだれ込む事件も起きました。

 この難局に大統領となったF・ルーズベルトは1933年3月、就任直後の会見で「金本位制は安泰です」と述べ、国民を安心させました。しかし、翌日には金の規制に関する法律を議会に提案し、4月5日にはこの法律に基づいて驚くべき大統領令を発しました。

「全国民は、すべての金貨、地金、金証券を銀行に差しだし、紙幣か預金と交換しなければならない」「銀行は受け取った金貨、地金などをすべて連邦準備銀行に引き渡しなさい」

 この大統領令6102号によると、金の供出を拒んだり、隠し持ったりした人には10年以下の懲役、1万ドル以下の罰金が課せられます。当時の1万ドルは現在の40万ドル(約6000万円)に相当します。独立憲法で「唯一の正貨」とされた金は、一夜にして所持することが重い犯罪になりました。

 さらに「政府債券を含めて金による支払いを定めるあらゆる契約条項を無効とする」という内容の法律を公布しました。ジョージ・ワシントンら建国の指導者たちが憲法に込めた理念とは、まるきり正反対の法律です。

 国民から金を没収した後、ルーズベルト大統領はドルと金の交換比率を徐々に下げました。新たに決まった交換レートは金1オンス=35ドル。金価格を69%も上げたわけです。逆に言うと、ドルを切り下げて、多くのドル紙幣を発行できるようになりました。それがニューディール政策の財源になりました。

 当時のヨーロッパは第1次世界大戦後の混乱が収まらず、深刻な不況と社会不安が続いていました。ルーズベルト大統領就任の2か月前、ドイツではヒットラーが政権につき、戦雲が広がっていました。金本位制のフランスやオランダなどは金の交換率が以前の高いままだったので貨幣が不足し、デフレを脱却することができません。

 そこで、1オンス=35ドルでいくらでも買い取ってくれる米国に、準備資産の金を売ったり預けたりする国が相次ぎました。ヨーロッパやアジアから米国に流れ込む金は膨大な量になり、当時の経済学者は「金の雪崩れが起きた」と形容したほどです。  

 米国における2度目の金の激変は、この米国になだれ込んだ金が、逆に流出したことによって起きました。引き金になったのはベトナム戦争です。(次号に続く、サイト管理人・清水建宇)

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