「金」の眼鏡で見た おカネの風景

②金が日本から韓国へ密輸出された時代があった

 50年余り前のことです。新米記者だった私は山口県の下関市局に配属され、水産担当として毎日のように下関漁港へ通いました。ある日、1万円札をぎっしり詰めたトロ箱が漁港の片隅に置かれた自転車の荷台で見つかり、拾得物として警察に届けられました。私は「1億円の落とし物」という小さな記事を書きました。

 ほどなく、今度は5キロの金塊が漁港のそばで見つかりました。1kgの金地金を5枚重ね、粘着テープをぐるぐる巻いたもので、ガラクタのような外見でしたが、つまづいた人が警察に届け、金と判明しました。

 なぜ漁港で巨額の現金や金塊の落とし物が見つかるのだろう。古参の仲卸し業者に質問すると、「下関は韓国の鮮魚運搬船や漁船がたくさん出入りする。その中の不心得者が日本で金を仕入れて韓国へ密輸出しているらしい」と説明してくれました。しかし、韓国の港では税関の検査を受けるので、韓国に持ち込むのは難しいはずです。そう尋ねると、彼は「漁港のそばの本屋へ行ってごらん」と意味ありげに答えました。

 その本屋をのぞいて驚きました。狭い売り場に不釣り合いなほど雑誌「主婦の友」が山積みになっています。店員の話では、買うのはほとんど韓国の船員たちで、向こうの港のお役人へのお土産にするのだそうです。

 日本による植民地統治が続いた戦前、日本の婦人雑誌は韓国の人たちにもよく読まれました。戦後25年たったそのころても、韓国の年配の人たちにとって「主婦の友」は読みたい雑誌だというのです。それが「港のお役人」へのお土産としてたくさん買われている――。韓国での税関検査が厳しくないことは、私にも想像できました。

 下関税関支署に取材したところ、そのころの韓国からの密輸入のトップは「日本円」で、密輸出のトップは「金」でした。摘発できた密輸は一部にすぎません。沖合の海で、船同士が接岸してこっそり受け渡す「瀬取り」が横行していると推測され、おそらく数倍、数十倍の金が韓国に流れているはずだと見ていました。

 当時の韓国は、1972年に戒厳令が布告され、朴大統領による軍政と開発独裁が進められていました。民主化を求める声が高まりましたが、中央情報局や警察が市民や学生を厳しく取り締まり、1973年には民主化運動に支持された大統領候補の金大中氏が東京で拉致される事件も起きました。

 韓国の通貨ウオンはドルに対して下がり続け、1972年と74年、立て続けに切り下げられました。軍事独裁で社会がすさみ、通貨に対する信任も動揺が止まらない――そうした韓国の 社会不安を背景に、多くの人が金地金を求めたのです。軍事政権に知られないよう、こっそり金を入手するには、裏ルートで出回る密輸の金が好都合だったのでしょう。

 それから40年余りを経て、逆に金が日本へ密輸出される時代になりました。日本の税関の資料によると、2013年に133kgだった金の密輸入は、4年後の2017年に6277kgと一挙に50倍近くに激増したのです。この年、財務省は「ストップ金密輸」を掲げ、検査を強化し、罰金を引き上げました。

 その後は密輸事件の摘発が大幅に減りましたが、なくなったわけではありません。昨年12月にも、海上保安庁は韓国からフェリーを使って約30kgの金地金を密輸出したとして、日本人と韓国人の男女9人を関税法違反の疑いで逮捕しています。9人は韓国の釜山で下関行きのフェリーに乗り、持ち込んだ金地金を魚の運搬車に隠して日本へ運び込もうとしました。

 金が日本に密輸出されるのは、かつての韓国のように、日本で社会不安が高まり、資産保全のために金を求める日本人が大勢いるからではありません。では、なぜ今、日本への金の密輸出が増えているのでしょうか。(次回に続く、サイト管理人・清水建宇)

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