30年前の日本と世界

23歳の羽生棋聖が名人位を獲得し、5冠に

1994年6月7日、第52期名人戦で羽生善治棋聖が米長邦雄名人に勝ち、タイトルを獲得した。将棋界に7つあるタイトルのうち、王位、王座、棋王を含めて5冠となった。23歳の名人は、83年に21歳で就位した谷川浩司・現王将に次ぐ記録。米長氏は前年、史上最年長の49歳で名人位に就き、初防衛戦に臨んでいた。羽生氏は「名人は棋士になってからいちばんの夢でした」と笑顔を見せた。

◆いま◆
 5月27日、第82期名人戦で、藤井聡太名人は豊島将之9段に勝ち、初防衛を決めた。藤井名人は昨年、20歳10カ月で就位し、谷川浩司氏の最年少記録を塗り替えた。新タイトルの叡王を含めて8冠となった。

23歳の羽生棋聖が名人位を獲得し、5冠に」への1件のフィードバック

  •              オウム事件・雑感
    警視庁が山梨県上九一色村のオウムの拠点を一斉捜索したとき、ガスマスクをつけた機動隊員が手にしていたカナリアをなぜか思い出す。あの後もカナリアは元気か?もう寿命が尽きたか?地下鉄サリン事件の1年前、1994年6月27日長野県松本市でオウムにより引き起こされた松本サリン事件。8名が死亡、200人以上が被害を受けた。第一通報者が犯人に仕立て上げられた冤罪事件でもあった。警察もマスコミも彼を容疑者と決めつけて捜査・報道を続けた。この冤罪事件もよく覚えている。
    ◍ 早大応用物理学科を首席で卒業し、大学院に進学。麻原彰晃の著書を読み感化され出家。教団では自動小銃の密造などに関わった広瀬健一死刑囚。
    ◍ 東大で素粒子論を研究し、大学院博士課程に進学した後の1992年に、麻原に誘われて出家。教団では、物理学のエキスパートとして兵器開発を担当した豊田亨死刑囚。
    ◍ 山口県出身の最古参幹部の一人で坂本弁護士一家殺害事件に関与し、彼の供述が教団幹部の逮捕の突破口になった。初公判で、被害者とその遺族に謝罪し、自分がこの世に存在することを恥じると声を震わせた岡崎一明死刑囚。
    ◍ 早大法学部に在学中に出家し大学を中退。教団では空手の腕前を買われ、武闘派として脱会信者の連れ戻しを担当。右手薬指には坂本弁護士宅に押し入った際、妻の都子さんにかまれてできた傷があり、法廷で泣きながら、傷を見るのがつらい、傷は十字架のようなもの・・・と語った端本悟死刑囚。
    オウム事件の死刑囚も、麻原に出会わなければ普通の倫理観を持った有能な人たちだったろう。バブル崩壊、不況、就職氷河期という時代の不安と、麻原という破滅的狂気との出会い。どうしてこうなったのか?多くの人は首を傾げた。
    社会学者・橋爪大三郎の「オウム真理教」の分析はこうだ。 
    ① オウム真理教とは、「最終解脱」を果たしたという麻原彰晃を教祖とする仏教系の新興宗派である。そのオウムが、なぜかユダヤ教、キリスト教、イスラム教のような一神教の終末論、ハルマゲドン(世界最終戦争)が間もなく起こると信じた。出家主義の教団が終末論的なカルト集団に変質した。
    ② オウムでは、出家信者に世俗社会との関係を断ちすべての財産を教団に布施させる。それだけが収入源だから信者を増やし続けることが必須の要件だった。仏教と相いれないハルマゲドンも、信者獲得の一つの方策として喧伝された。さらに世俗世界を上回る強烈なリアリティに信者を巻き込み、信者の精神世界を支配する必要があった。修行の初期段階で薬物を使ったのもそのためだ。
    ③ オウムでは自給自足を掲げ、利潤採算を度外視した労働が義務化される。その労働は自分の希望も尊重されるが、上からの指示で決められる。これは一般企業と同じだ。違うのは組織のピラミッドが修行の階梯で決まる点。小乗➡大乗➡金剛乗と修行の段階が進むにつれ、組織の幹部になる。それと同時に、低い段階では禁じられていたことを実行するという密教の論理が働く。麻原にとって社会常識からかけ離れた任務を上位修行者に負わせることが可能になる。ポア(殺傷)も修行の上位段階だと言われれば、幹部信者も従う。地下鉄サリン事件に、医師の林郁夫はじめ教団幹部が加わった所以である。

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