1米ドル=300,000,000,000,000ZWD
アフリカの南部にジンバブエという国があります。日本とほぼ同じ面積に1500万人近い人が住んでいます。内陸の国ですが、大きな川が二つあり、北部には世界三大瀑布の一つである「ヴィクトリア滝」があります。
かつては英国の植民地で、白人支配が続き、「ローデシア」と呼ばれていました。やがて黒人の抵抗運動が激化し、1980年にジンバブエ共和国として独立しました。世界最大の白金埋蔵量を誇り、ダイヤモンドの産出量も世界有数です。白人農場主が開墾した農地はよく整備され、かつては小麦なども輸出していました。
独立とともに独自通貨の「ジンバブエ・ドル(ZWD)」を発行しましたが、当初は米ドルよりも価値が高く、1ZWDが1,45米ドルで取り引きされました。紙幣はドイツの企業に製造を委託し、ホログラムなど最新の印刷技術が使われた立派なものです。
物価もそこそこ安定し、独立後の最初の10年間は、年に7~19%の上昇でした。しかし、独立以来。大統領の座に居座りを続けるムガベ独裁の下で経済が破壊され、次の10年間では、物価上昇率が年に17~58%と2倍以上のペースになりました。21世紀に入ると、物価はロケットのように急上昇します。
パーセントでは数字が大きくなるので、以下は「倍」で書きます。2005年は約6倍、2006年は約13倍、2007年は662倍、そして2008年は3550倍――。すさまじいハイパーインフレが押し寄せたのです。
ジンバブエの中央銀行は、これに対して新しい紙幣の発行で対処しました。まず2006年に額面の数字を3ケタ減らす「デノミネーション」を実施し、旧紙幣と交換することにしました。しかし、人びとは古い紙幣を使いきろうとしてパニックに陥り、2割の旧紙幣が交換されることなく紙くずになりました。
米ドルとの為替相場も大幅に切り下げ、公式レートを「1米ドル=30000ZWD」としましたが、闇市場での実勢レートは、その20分の1になってしまいました。
2年後の2008年8月、中央銀行はまたも額面の数字を百億分の1に下げ、新紙幣を発行しました。これでもインフレの猛威は収まらず、6カ月後には額面を1兆分の1に下げる3度目のデノミネーションを実施しました。つまり「1兆ZWD」紙幣を「1ZWD」の新紙幣に交換するわけです。しかし、ジンバブエドルの信認はすっかり失われており、政府は同時に「公務員の給与は米ドルで支払う」と宣言せざるを得ませんでした。新紙幣が流通する見込みがなくなったため、政府は新紙幣の無期限発行停止を発表しました。
外貨との交換も困難になりました。見出しに使った数字は、2009年2月2日の1米ドルの実勢交換レートで、「300兆ZWD」の意味です。限りなくゼロに近い価値しかないということがよくわかります。
米国の科学誌などが、ノーベル賞のパロディ版として毎年「イグノーベル賞」を発表していますが、2009年の「数学賞」はジンバブエ・ドルに授けられました。理由は「1セントから100兆ドルまで幅広い額面の貨幣を発行することにより、非常に大きな数字にも対応できるよう、簡単で毎日できるトレーニング方法を国民に与えた」ことです。
自国の通貨を発行できなくなった政府は、やむなく米ドルや南アフリカのランド、ユーロなどを「公用通貨」に指定しました。
この経済破綻に対し、2017年に国防軍が反旗を掲げてムガベ大統領を監禁し、37年間の独裁に幕を引きました。その後のジンバブエ政府は、独自通貨を発行するために試行錯誤を重ねていましたが、ことし4月5日、金と外貨を裏付けとする「ジンバブエ・ゴールド(ZiG)」を発表しました。
準備資産は2.5トンの金と1億米ドル相当の外貨です。じつはその1年前に金に裏付けられた「デジタル・トークン」が法定通貨と定められ、キャッシュレス決済で使われていました。5月からは、新紙幣と新硬貨が発行され、市中に流通し始めました。
米ドルや南アフリカ・ランドなどの外国通貨も引き続き使用を認められています。いずれも新通貨の競争相手です。政府は徐々に「ジンバブエ・ゴールド」を定着させ、悪夢を終わらせたいとしています。
ブルームバーグ通信によると、6月6日現在、ジンバブエ・ゴールドは米ドルに対して前月比で1.9%上昇しました。自国通貨の上昇は久しくなかったことです。金の力かもしれません。(サイト管理人・清水建宇)