「金」の眼鏡で見た おカネの風景

金による採点をごまかす方法――①中央銀行の金売却

 通貨のほんとうの価値=購買力を、容赦なく、厳格に暴きだす「金」の評価――。おカネを発行する各国の政府や中央銀行は、「金本位制」が廃止された後も、金の動向に神経を尖らせざるを得ません。

 米国が急激なインフレに見舞われた1979年、米国の中央銀行の意思決定機関である連邦制度理事会議長にポール・ボルカー氏が就任しました。その後、インフレは激しさを増して物価上昇率は年率13%を超え、翌年1月には金価格が2倍近い1オンス=850ドルに急騰して、経済への不安が広がりました。

 ボルカー氏はわずか1年ほどの間に政策金利を2倍近い20%に引き上げ、過去に例のない金融引き締めを断行しました。株式市場は急落し、失業率は11%に跳ね上がり、不況が深刻かしましたが、ボルカー氏は米ドルの価値=購買力を守り、インフレを抑え込むことを優先させ、異例の金融引き締め策を続けたのです。

 その結果、インフレ率は3%台にまで下がり、金融緩和に転じたことにより米国経済は上昇に向かいました。金価格は8年間の在任中、1オンス=400ドル前後に落ち着きました。ボルカー氏は「金は私の敵だ」と語っていましたが、大きな代償を払ったとはいえ、金との闘いに勝ったと言えるでしょう。

 1990年代に入ると、湾岸戦争やソ連崩壊など世界史に刻まれるような出来事が相次ぎましたが、不思議なことに金価格はじわじわと下がり続けました。政策金利を上げるとか、ドル紙幣の発行を減らすなどの金融引き締め策のせいではありません。中央銀行が保有する金を売り始めたからです。

 1996年11月、スイスの中央銀行が金地金の一部を売却するという報道が世界を駆け巡りました。スイスは金を重視してきた歴史があり、保有量も膨大です。金の市場価格は下げに転じました。1999年春には英国のイングランド銀行が「保有する金の大部分を売却し、米国債などを購入する」と発表しました。金は1オンス=300ドルも割り込み、250ドルの安値まで落ち込みました。

 ほぼ同時期に国際通貨基金(IMF)が「途上国を支援するために保有する金を売却することを検討している」と報道されました。また、この年の9月には、米国、日本とユーロに加盟する欧州14か国の中央銀行が「保有する金の売却は年に計400トン、5年間で2000トン以下とする」内容のワシントン合意に調印しました。売却量に上限を設けるわけですが、逆に言うと、年に400トンまでは売却して良いと「お墨付き」を与えたわけです。

 2000年6月には米国のFRB幹部が国際会議で「世界の中央銀行が金を通貨準備のために保有し続ける必要はない。金の役割は消滅しつつあるのだから、売却すべきだ」と述べました。欧米はこぞって金の売却に精を出しました。

 中央銀行は、その国の通貨の発行元です。どの通貨も金と交換できない不換紙幣、つまりただの印刷物に過ぎません。だから金のモノサシによって実際の価値=購買力を評価されることが嫌なのです。そこで、中央銀行が連携して金を大量に売却し、金価格を下げれば、通貨の対金レートを上げることができます。つまり「ワシントン合意」は、金による採点をごまかすための方法だったといっても過言ではありません。

上のグラフを見てください。1990年以降の世界の中央銀行による金の売買量です。2009年までの約20年間、売却のほうが多かったことが分かります。この間、金価格は低迷を続けて、見かけ上、通貨の価値=購買力は維持されました。しかし、金価格は1オンス=250ドルを底値として、2002年ごろから上昇に転じました。欧州の中央銀行が安く売った金は中国などが買い漁ったため、金価格を押し下げる効果は薄れていました。

 「年間400トンまで保有する金を売却する」というワシントン合意を続けることができなくなり、アジアなど欧米以外の中央銀行の買い意欲が高まって、2010年ごろからは金購入のほうが多くなりました。世界の金市場における中央銀行の役割が逆転したわけです。

 しかし、金価格を押し下げる、もう一つの仕組みが、このころから爆発的に広がりました。それは金の先物市場です。(以下次号、サイト管理人・清水建宇)

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