私の体験記

新聞記者からバルセロナの豆腐屋へ

千葉県 清水建宇(ウエブサイト管理人)

 私は2007年に新聞社を定年で退職し、2010年にスペインのバルセロナで豆腐屋を開業しました。12年近く豆腐づくりに専念したあと、現地の店を日本の豆腐企業に継承してもらい、帰国しました。

 定年後はバルセロナで暮らしたいという夢が芽生えたのは40歳のころです。事件記者だった私は、世界の名画にまつわる記事を書く日曜版の部署に配置換えになり、1年半で15か国の20都市を回りました。連載が終わって「どの都市が良かったか」を自問したら、バルセロナがダントツの1位でした。

 食べ物が安くて美味く、街が美しいだけではありません。バルセロナだけ、「アジアのヘンな人間がいるな」という奇異の目で見られることなく過ごすことができました。スペインを引き裂いた市民戦争で、この街は共和派の拠点になり、敗北して軍事独裁政権から過酷な弾圧を受けた結果、国籍よりも一緒に暮らす住民のきずなをたいせつにする気風が定着したからです。アフリカや中南米、アジア、中近東から来た人たちが臆せずに暮らせる街でした。

 夫婦で再訪し、妻もバルセロナを気に入ってくれました。唯一の問題は、私が好きな豆腐や油揚げ、納豆がないことです。移住して何年も暮らすとなると、食べ物のストレスは大きな問題です。これを解決するには私自身がバルセロナで豆腐や油揚げ、納豆をつくるしかありません。

 とんでもない計画で、どこから手をつけていいのかわからず、記者の仕事に追われていたこともあって、漠然とした夢のままでした。そんなとき、伊能忠敬を描いた小説「四千万歩の男」の作者の井上ひさしさんが、忠孝の生涯を「一身二生」と呼び、高齢社会の理想像と讃える文章に出会いました。

 一つの体で、二つの人生。この言葉が、漠然としていた私の夢に太い心棒を打ち込んでくれたように感じました。定年退職するや、スペイン語の学校に通い、自宅近くの豆腐屋さんに弟子入りしました。最初の店は見学しか許されず、道具の清掃をしただけですが、2つ目の修業先では初日から豆腐づくりを体験させてくれました。「体で覚えなきゃいけないことがたくさんあるからね」とご主人は言いました。この師匠に出会ったことで、計画は実現に向かいました。

 スペインで豆腐屋を開くには、自営業の労働居住許可が必要です。これを申請するには、店舗の賃貸契約書、改装工事の設計図、その設計図を市役所が受け取った証明書などを添付しなければなりません。食品製造の店は、建物の屋上まで排気管を設置することが義務付けられています。私たち夫婦は何度もバルセロナへ行き、条件に合う物件探しを続けました。

 製造機械はすべて中古で調達してコンテナ輸送しましたが、その費用と改装費を合わせると4千万円を超えたでしょう。退職金だけでは足りず、マンションを売った残額や生命保険の解約金まで注ぎ込んで、ようやく開店にこぎつけました。

 売れ行きはまずまずで、自宅の家賃を豆腐屋に負担してもらうことはできましたが、私たちはタダ働きも同然でした。それでも豆腐や納豆などを持ち帰ることができたので、1カ月の生活費は500ユーロ(約7万円)ほどで済みました。私の厚生年金でラクにまかなえました。

 毎朝5時に起床して豆腐をつくり、午後3時のまかないが最初の食事です。帰宅して夕食を終えると、すぐ眠くなって床に就きます。記者のころは深酒でしたが、ビール一杯に減りました。作業場で規則正しく肉体労働し、仕入れや納品で一日平均2万歩を歩く。そんな生活を続けるうちに、退職時に92kgあった体重が1年で17kgも減りました。血圧や肝機能、血中脂肪など軒並み「黄色信号」だったのに、すっかり健康体になりました。

 老境になると、健康にまさるものはありません。「もう元は取ったな」と思いました。

 豆腐店を継承してもらいましたが、私はまだ出資金の3分の1を保有しており、「少額オーナー」の立場です。1年に2回ほど、資材の運搬を兼ねてバルセロナへ行き、若い人たちと一緒に豆腐店で過ごします。

 誰がつくったのか、「流水不濁、忙人不老(流れる水は濁らない、忙しい人は老け込まない)」という標語が気に入って、作業場に貼っていたことがあります。これからも「忙人不老」を心がけるつもりです。

◆◆前半生と異なる後半生を選んだ皆さんに、お願いがあります。体験記をお寄せください。
投稿の方法は、このサイトの「投稿のフォーム」をクリックしてください。本名でも、筆名でも構いません。住所(都道府県まで)と年齢は書いてください。A4版で2枚程度の分量が、読みやすいと思います。

新聞記者からバルセロナの豆腐屋へ」への2件のフィードバック

  • こんにちは。一年のみでしたがランキングにいた事があります。私は2年前に親を見送りましたが、まさに今、生き直しをしていると実感しています。私は職業を変えるなどとは異なりますが、人生で初めて「自分のために」生きています。

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  • 清水様  ごぶさたしています。わたしにまで届いていまして。何を書くのか
    戸惑っています。はいからなことは、わが頭脳では応じかねますので、
    お詫びせねばなりますまい。。

    大変お世話になった清水さん、いつか、またバカな話をしたいですね。
    まあ、おいそがしいでしょう、無理とは思いますが。時間があるようでしたら、ご一報を下さい。
    ひところと違い車を運転するにも、一大決心が必要となってきます。
    「会合」が可能でしたら、ご連絡をください。難しくない所でやりましよう。奥山、

    返信

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