戒厳令で売られたビットコイン
韓国の尹大統領による「戒厳令」で、ビットコインに大きな波乱が起きました。その詳しい経過を見てみましょう。
12月3日午後10時25分、戒厳令が宣言されました。その直後、ネットで発信する市民のメッセージが急増し、一部で接続障害が発生しましたが、YouTube、Facebook、Instagram、韓国で利用者が多いカカオトークなどのライブ配信は活発に展開され、戒厳令が出たという情報は一気に拡散しました。
午後10時45分ごろ、韓国で最大の仮想通貨取引所であるUpbit(アップビット)でビットコインの売りが増え、価格が下がり始めました。戒厳令前は1億3000万ウォンだったのが、午後11時には9360万ウォンへと急落しました。15分足らずで28%の下落です。

機関投資家が大量のビットコインを売り、個人投資家も追随して、売り圧力が急に高まった結果です。取引所のシステムが注文をさばききれず、受け付けの遅れやサービスの一時停止が起きました。このことが、さらに売りを誘ったようです。
午後11時すぎ、国会周辺に集まった市民が、軍や警察に抗議したり、国会議事堂に入ろうとする国会議員を支援したりして、その映像やメッセージがネット上にあふれるようになりました。また尹大統領が属する与党「国民の力」の韓東勲(ハン・ドンフン)代表が「戒厳措置は間違っている。国民とともに阻止する」と述べたことも報道されました。
これを受けてビットコインは急速に値上がりし、午後11時10分には1億2900万ウォン近辺まで戻りました。戒厳令が宣言された直後、1億6300万ドルがUpbitに流入し、急落したビットコインに買い向かったことも、価格が戻った一因でしょう。
日付が変わった4日午前1時、韓国国会は出席した190人の議員の全員賛成で戒厳令の解除要求を決議し、午前4時20分には尹大統領が解除方針を発表しました。6時間もたたないうちに韓国の政治危機は収束しました。
UpbitやBithumbなどの仮想通貨取引所は24時間オープンしているため、深夜の時間帯にもかかわらず、通常の10倍もの取り引きが行われ、ビットコインはわずか30分の間に急落と急騰を演じたわけです。
今回の波乱に対して、仮想通貨取引会社を経営するキ・ヨンジェ氏は「政情不安の時にこそビットコインは上がるべきではないのか?」と述べました。私も同じような疑問を感じます。ビットコインはなぜ、戒厳令で真っ先に売られたのか。
この連載の本論の1回目は、1970年代の韓国が日本から大量の金塊を密輸入していたことを取り上げました。当時の朴正煕大統領は1972年10月に戒厳令を布告し、国会解散、政党活動の停止、大学の封鎖を強行したうえで憲法を改正しました。翌年には野党の金大中氏を東京で拉致しました。政治への不安が高まり、国の行く末を心配した民衆は資産を安全な金塊に代えて身を守ろうとしたのです。それが日本からの金塊の密輸入につながりました。
今回の戒厳令でも、通貨ウォンの下落や韓国経済の先細りを見越して、「おカネを安全な資産に代えよう」とする動きが予想されますが、ビットコインの急落ぶりを見ると、「安全な資産」と思われていないのではないか、という疑問がわきます。
「戒厳令で真っ先に売られた」ということは、ビットコインの値動きが大きいので、うまく立ち回れば短期間で利益を稼げると考える人たちの投資対象だったからでしょう。だから「下がりそうだ」「売れなくなるかもしれない」と思った人たちが一斉に売ったのでしょう。
ビットコインは「デジタルゴールド」と呼ばれているそうですが、1970年代の戒厳令と政治危機において「金」が果たした役割と比べると、まったく似ていないと思います。ビットコインが危機の際に「最後の拠りどころとなる安全資産」なのかどうか、今回の戒厳令は答えを示したのではないでしょうか。(グラフはUpbitから、サイト管理人・清水建宇)