1994年6月13日、訪米した天皇、皇后両陛下はワシントンでクリントン大統領の歓迎式典に臨み、天皇は「両国は戦争による悲しむべき断絶を乗り越え、緊密な協力関係を築き上げました」とお言葉を述べた。最後の訪問地ハワイでは、国立太平洋記念墓地を訪れたが、真珠湾訪問の計画は取りやめとなった。朝日新聞が衆議院議員に面接調査した結果、天皇の真珠湾訪問への賛否はほぼ二分された。
◆いま◆
訪米から25年後の2019年4月30日、天皇は皇室典範特例法により退位し、上皇となった。5月1日、皇太子徳仁親王が第126代天皇に即位した。退位(譲位)による皇位継承は202年ぶり。
「悪魔ちゃん」騒動
◆ 戸籍法の改正にともない、2024年度から戸籍に読み仮名を必須とし、漢字本来の読み方と違う、いわゆる「キラキラネーム」に一定の制限がかかることになる。法務省が不適切な例として挙げているのは、
(1)漢字とは意味が反対・・高をヒクシと読ませる。
(2)読み違いかどうか判然としない・・太郎をジロウと読ませる。
(3)漢字の意味や読み方からは連想できない・・太郎をマイケルと読ませる。
「キラキラネーム」は、主にキャラクターの名前や外国語に、一般的な読み方とは異なる字を当てはめるため、読めない名前になることが多い。
愛・・らぶ 、心・・ぴゅあ、海・・まりん 、月・・るな 、光宙・・ぴかちゅう 、七音・・どれみ 、明日・・ともろう、美音楽・・びおら、これでは学校の先生もたいへんだ。
◆ 1993年8月、東京都昭島市役所に「悪魔」と命名された男児の出生届が出された。市役所は「悪」も「魔」も常用漢字であることから受理したが、受理後にこれはちょっと問題ありじゃないかと職員の間で疑義が生じ、法務省に受理の可否を照会した。法務省から「問題ない」との回答があったため受理手続きに入ったが、後日、その法務省から子の名を「悪魔」とするのは妥当でなく、受理手続きを完成させず、夫婦に対して別の名前に改めるように指導せよと指示が来た。
届出者である父親は、東京家庭裁判所に不服申し立てを行い、市と争った結果、1994年2月、家庭裁判所は昭島市側に、出生子の立場から見れば、命名権の濫用であって、名としてその行使を許されない場合に当たるが、市側に手続き上の瑕疵があったため「そのまま受理手続きを完成せよ」との判断を下した。父親の申し立てが認められた。市は即時抗告したが、父親のほうが不服申し立てを取り下げ、別の名前を届け出たため、この騒動は終結した。
◆ この時の家庭裁判所の判決の要旨(判旨)は妙ちきりんだ。悪魔ちゃんの父親は命名の理由を、長男はこの名前により、人に注目され刺激を受けることから、これをバネに向上が図られる、と述べた。裁判所側は、本件命名に起因するプレッシャーをプラスに跳ね返すには、並々ならぬ気力が必要とされるが、長男にはそれが備わっている保証は何もなく、申立人の意図とは逆に、いじめの対象となり、本人の社会不適応を引き起こす可能性も十分ありうる。即ち、出生子の立場から見れば、命名権の濫用であって適当ではない、と。
笑ったのは、「生まれたばかりの子供にプレッシャーをプラスに跳ね返すだけの並々ならぬ気力が備わっている保証は何もなく」「出生子の立場からは、命名権の濫用」と高飛車に決めつけたことだ。なにをとち狂って、出生児の性格、将来まで見切ったようなことを判決理由に書く必要があるのか。大きなお世話ではないか。
こんな理屈をこねるよりも、社会も裁判所も国会も、将来の感性など今の時点で分からないので、自分で名前を変えやすいシステムに改正する努力をするべきではないか。現在の戸籍法でも正当な事由(名を変更しないとその人の社会生活において支障を来す場合)があれば,家庭裁判所の許可を得て名の変更が可能である。東京家庭裁判所はこれを判旨に述べればいいだけではなかったか。今から思えば「悪魔」と「光宙(ぴかちゅう)」にどれほどの差があるのだろうか?