刑法全文を口語調に改め、尊属殺規定の削除を諮問
1994年6月20日、中村法相はカタカナまじりの漢文調で書かれている刑法をわかりやすい口語調に改める案を法制審議会に諮問した。制定以来、80数年ぶりの全面改定となる。また、親や祖父母に対する尊属殺規定(刑法200条)を削除し、傷害などに定められている刑罰の「尊属過重規定」を削除することも諮問した。父親に暴行されて5回も出産させられた娘が父親を絞め殺した栃木県の事件で、最高裁大法廷は1973年に「刑法200条は憲法に反しており、無効」との判決を下していた。
◆いま◆
1年後に刑法が、2年後に民事訴訟法が、2004年に民法第1編第2編第3編が、そして2019年に商法が、それぞれ平がな・口語体に改められた。
ロサンゼルス、日本人留学生射殺事件
◆ 1994年3月25日午後11時頃、丘の上にあるスーパーの駐車場で伊藤拓磨さん、松浦剛さん(ともに19歳)が車から降りようとしたところを、犯人に銃を突き付けられ、至近距離から頭を撃たれた。2人は病院に運ばれたが死亡した。犯人は奪ったシビックで逃走、カージャックだ。カージャックは、初期には銃やナイフで脅して車を奪うだけだったが、最近では殺して盗むケースが増えている。事件から5日目、18歳と20歳のヒスパニック系の2人の容疑者が逮捕された。殺人の動機はヘイト・クライムではなく窃盗目的だと言っている。その前年、93年7月にはサンフランシスコで栗山昌一さんが銃撃され死亡した。そして92年には服部剛丈(よしひろ)さんの痛ましい事件があった。3年連続して日本人留学生が射殺された。
◆ 92年ルイジアナ州でハロウィンの夜に起こった服部さん射殺事件は今でもよく覚えている。訪問先を間違え、仮装した友人と服部さんの2人は、ピアーズ(30歳)の住む家へと辿り着いた。間違いに気づかずに玄関のベルを鳴らした。勝手口でピアーズの妻は2人を見るとすぐにドアを閉め、夫に銃を持ってくるように言った。ピアーズは44マグナム拳銃(映画「ダーティハリー」の銃)を持ち出し勝手口で、2人に向けて「フリーズFreeze 」と警告した。だが被害者はピアーズに対し「We’re here for the party.」と説明しながら近づいた。この行為から友人はフリーズを「プリーズPlease 」と聞き間違えたかもしれないと語った。
ピアーズは発砲し、弾丸は被害者の左肺を貫き搬送中に死亡した。刑事裁判では、地方裁判所陪審員は全員一致で、ピアーズに対し無罪の評決を下した。しかし、その後、遺族が起こした損害賠償を求める民事裁判では、正当防衛ではなく、殺意を持って射殺したとして65万3000ドルを支払うようにという正反対の判決が出された。実際、遺族に支払われたのは、ピアーズが自宅にかけていた保険の10万ドルのみだったが。日本のメディアには、被害者が警告を理解できなかったのではないか、などの日米の文化の違いに言及するものもあった。
◆ 銃に関する日米の文化の違いはのりこえられないのか。服部さんの両親は「アメリカの家庭からの銃の撤去を求める請願書」の署名活動を開始した。93年11月、クリントン大統領に面会し署名を届けた。同月、銃規制の重要法案であるブレイディ法(=警察に 銃の購入希望者の犯罪歴の調査を義務づける)が可決された。しかし、アメリカでは1791年に成立した憲法修正第2条に、「国民が武器を保有し携帯する権利」を認めている。さらに膨大な資金力を背景に権力の中枢にくい込んでいる銃規制に反対する全米ライフル協会の存在もある。
◆ 一方、日本の銃器・武器のない社会は、秀吉の刀狩りや明治の廃刀令などの施策によると一般に考えられているが、実際は終戦後に、GHQが「鉄砲等所持禁止令」を出し、狩猟、競技、美術用以外、銃や刀を持てなくしたからだ。以降、この方向で銃刀法の法律が整えられていった。日本の銃なし社会が、銃を当然の権利とするアメリカのおかげとは皮肉としか言いようがない。「銃の所有者やメーカーに対するバイデンの攻撃は、私の就任最初の1週間、おそらく初日に全て終わらせる」と全米ライフル協会のイベントで豪語したトランプだけは大統領になってほしくない。