30年前の日本と世界

ゴジラ40歳、新シリーズ始動

1994年7月26日、映画「ゴジラ」シリーズの次回作、「ゴジラvsスペースゴジラ」の撮影が始まった。1954年、ゴジラがスクリーンに登場して、この年でちょうど40年。これが21作目になり、制作する東宝は「新しいシリーズのスタート」と位置づけている。一方、米国トライスター社で制作される予定のゴジラ映画も、監督が「ダイ・ハード」を手がけたヤン・デポン氏に決まり、公開に向けて具体的に動き始めた。
◆いま◆
ゴジラ生誕70周年を記念して制作された「ゴジラ-1.0」が2023年12月に公開された。この作品で山崎貴監督は今年の第96回アカデミー賞でアジア初の「視覚効果賞」を受賞した。低予算で優れた視覚効果を実現したことが評価された。

ゴジラ40歳、新シリーズ始動」への1件のフィードバック

  • 大江健三郎ノーベル文学賞受賞
    ◆ 今から30年前の大きなトピックスとしては、「大江健三郎ノーベル文学賞受賞」があります。今回の投稿は、1994年12月7日ノーベル賞受賞記念講演の紹介です。 
    ◆ 第二次世界大戦のさなか、大江少年を魅了した2冊の本が、『ハックルベリー・フィンの冒険』と『ニルス・ホーゲルソンの不思議な旅』だった。戦争の時代にあっても、森に上り樹木に囲まれて眠ることに安息を見出す子供であった自分の行為を、<正当化する根拠>のようなものをそこから学んだ。
    また、少年が小人となり、鳥のことばを理解し冒険に満ちた旅をする物語は、そこに生きることは<解放されたもの>だという確信を与えてくれた。ニルスが無垢な、自信に満ちた謙虚さをもって帰郷し、「お父さん、お母さん、僕は大きくなりました。もう一度人間に戻って!」と叫ぶ―—このフレーズが、その後の大江にとって、具体的な生活の場での苦難、社会・国家・世界につなごうとする文学の礎となった。
    ◆ つぎに知的な発達障害を担って生まれた光さんのことに触れる。子供のころ、彼は野鳥の歌にのみ反応し、人間のことばには無反応だった。そんな彼が最初に発したことばが、山小屋で木立の向こうでクイナの声が聞こえたとき、野鳥の歌を録音したレコードの解説者のアクセントで発した「クイナ」だった。鳥のことばを理解したニルスに通じる出会いだ。
    ◆ 大江が受賞記念講演で言いたかったことは、1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成の講演に対する違和であった。川端は言う。「西洋人の死の見方とは違い、日本人にとっては生と同様に死も、自然との合一自然への回帰である。また禅宗に見られる日本人の〈無〉は、西欧風のニヒリズムではない。」講演全体を通して『源氏物語』をはじめ、すべての古典文学や歌に流れている東洋的な虚空=〈無〉の神秘性に言及する。
    茫漠とした東洋観を開陳し、西洋の人を煙に巻くような川端の日本論を大江は拒否する。そこには28年の歳月の隔たりがある。
    大江は「・・小説家としての長く苦しい遍歴の後、それ自体が理解を拒む表現であるこれらの歌(→禅の歌)にこそひきつけられていると告白することによってしか、川端には自分の生きる世界と文学について、つまり「美しい日本と私」について語ることはできなかった」という。
    大江は川端の「美しい日本と私」は美しくはあるが、不明瞭な、あいまいなもの=vagueであるといい、自分の「あいまいな日本の私」のあいまいな、は=ambiguous(両義的な)だという。開国以後、百二十年の近代化に続く現在の日本は、根本的にあいまいさ(アムビギュイティー)の二極に引き裂かれている。日本と日本人は敗戦を機に大きい悲惨と苦しみの中から再出発した。新生日本人を支えた原理は、民主主義と不戦の誓い。この日本人の根本のモラルはアジアへの侵略者としての経験と不可分である。また、広島、長崎の核攻撃の死者、放射能被爆者が我々のモラルを問いただす。大江は師である渡辺一夫のユマニスム(ヒューマニズム)に基づき、小説家である自分の仕事が、言葉によって表現するものとその受容者とを、個人の、また時代の痛苦からともに回復させ、それぞれの魂の傷をいやすものとなることを願っている、という。結びに、光さんの音楽が彼の暗い悲しみの塊を癒し、回復させていると、芸術の持つ不思議な治癒力を信じると付け加える。

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