「自・社・さ」3党連立の村山内閣が発足
1994年6月30日、自民、社会、新党さきがけ3党連立による村山内閣が発足した。村山富市新首相(社会党委員長)は組閣を終え、皇居での任命式と閣僚の認証式に臨んだ。自民党の河野洋平総裁を副総理・外相、さきがけの武村正義代表を蔵相に起用し、3党の党首がそろって入閣した。内閣のかなめである官房長官には社会党の五十嵐広三氏が就任し、故田中角栄元首相の長女、田中真紀子氏(自民)が女性では唯一、科学技術庁長官で入閣した。
◆いま◆
村山内閣が1996年に総辞職した後、社会党は「社会民主党」に改称し、多くが民主党に参加したため分裂した。新党さきがけは次の橋本内閣にも加わったが、多くが民主党に移り、2002年に解散した。
酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)あるいは<名前>
◆ 今から27年前の1997年、神戸連続児童殺傷事件があった。当時14歳だった中学3年の男子生徒(少年A)が児童5人を襲い、3人に重軽傷を負わせ、2人を死亡させた少年事件である。Aは酒鬼薔薇聖斗を名乗る犯行声明文をマスコミに送りつけた。
◍ 2月10日、路上で、小学6年の女児2人の後頭部をハンマーで殴り、うち1人は1週間のけが。
◍ 3月16日、路上で、小学4年の山下彩花さんの頭をハンマー用のもので殴り、7日後に死亡させた。
◍ 同日16日午後、歩道で小学3年の女児の腹部を小刀で刺し、2週間のけがを負わせた。
◍ 5月24日午後、須磨区の路上で会った小学6年の土師淳さんを、タンク山の山頂にあったアンテナ基地局近くに連れて行き、両手で首を絞めて殺害。
◍ 翌25日に遺体を切断し、27日未明までに遺体の一部を彼が通う中学校の門前に置いた。遺体のそば
に警察への挑戦状とも受け取れる手紙が置かれていた。
◆ 逮捕後、少年Aは神戸家庭裁判所へ送致され、その後は関東医療少年院へ収容された。「約6年半の矯正教育により、性的サディズムなどは改善され、再犯のおそれはない」と判断した少年院は、2004年に仮退院を認め、Aは社会復帰した。もちろん名前も変えて。
社会学者の宮台真司は、「Aがマンガ『寄生獣』を愛読していたことから、Aの犯罪は、自分の意思であると同時に神に捧げられたもので、(事実Aの供述に、殺害した死体は自分の作品だとか、自分のけがれた血を清めるために、殺した少年の純粋な血を飲もうとしたとか、がある)これは弱い人間がノイズに満ちた環境から身を守るための知恵といえるが、彼がこれほど強力な自己防衛ツールを発動したのは母親とのコミュニケーションが原因ではないか」と言っている。そこに強い性的サディズムの傾向を重ねるとAの像が見えてくる。
◆ 「報道人がボクの名を読み違えて鬼薔薇(オニバラ)と言っていた。人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、嘘偽りないボクの本名である。」Aは名前にこだわる。彼には本名があるが、それを本当の名前とは考えていないし認めていない。酒鬼薔薇聖斗こそ、単なる犯行声明上の仮名ではなく、本当の名前だと思っている。「今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたい。」本名でいると、この世界で承認されている実感を持てない。虚ろで仮想の酒鬼薔薇聖斗を他者に承認してもらう時だけ、「透明な存在の自分」がリアルになれる瞬間なのだ。
「今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。」と名前に執着する。
Aはいま名前を変えて社会復帰している。その名前も当然偽名(仮想)である。彼は今も「透明な存在」に変わりない。空しいだろうか?それとも新しい名前と馴染めているのか?
◆ 名前には男・女、年齢をはじめ特定の地位や資格が付随する。死ぬ時くらい一切の属性は無用だ。「様も/殿も/付いてはいけない/自分の住む所には/自分の手で表札をかけるに限る。/精神の在り場所も/ハタから表札をかけられてはならない/石垣りん それでよい。」
(詩・「表札」一部抜粋)・・・Aには屹立する石垣りんの姿が見えるか。