「金」の眼鏡で見た おカネの風景

「基軸通貨」米ドルはサウジとの密約で強くなった

 20世紀は「石油の世紀」だと言われます。石油が自動車や飛行機、船を動かし、電気を生み出し、石油でつくられた新しい素材が人びとの生活を変えました。今も巨大なタンカーが世界の海を行き交い、石油を運んでいます。

 世界で初めて油田が発見されたのは19世紀半ばの米国でした。それから十数年後の1870年に、ロックフェラーがスタンダード石油を設立し、新しい油田を開発するとともに、精製から輸送、販売までを手中に収めて巨大企業に成長させました。

 この会社は世界各地で油田を探査し、1938年、サウジアラビアの砂漠で石油を掘り当てました。その後も石油が自噴するような巨大油田を相次いで発見し、第2次大戦が終わると、アラビア半島の王国はまたたくまに世界最大の産油国になりました。

 サウジアラビアは石油の採掘利権料を「金貨で支払ってくれ」と要求し、米国は支払いのための特別な金貨を造幣局でつくりました。重さが約1トロイオンス(31g)で、純度92%。「4ソブリン金貨」と呼ばれました。当時の米ドルは金で裏付けられ、各国の政府や中央銀行に対しては金との交換に応じていましたが、それでもサウジアラビアは紙幣より金貨にこだわったのです。金を尊重することはアラブの伝統でした。

 しかし、米国が保有していた金がベトナム戦争などで激しく流出し、ニクソン大統領が1971年に金とドルの交換を停止した後は、金貨での支払いが出来なくなりました。利権料は米ドル紙幣で支払われるようになりましたが、インフレが進んだために、サウジアラビアは「ドル紙幣の価値は目減りする一方だ」と不満を募らせました。

 1973年にはエジプトなどがイスラエルと戦った第4次中東戦争が起き、サウジなどの産油国はアラブを支援するため、イスラエル支援国への輸出禁止、価格の大幅引き上げなどに踏み切りました。石油価格は4倍になり、日本でも石油ショックが騒がれました。

 中近東の緊張が続き、米ドルへの不満が高まるなか、米国のキッシンジャー国務長官は1974年6月にサウジアラビアへ飛び、世界の石油流通を安定させるためにサウジ王家と秘密協定を結びました。「ワシントン・リヤド密約」と呼ばれた協定は、次のような内容です。
 
 ・サウジは石油の利権料を米ドルだけで受け取り、石油を安定的に供給する
 ・米国はサウジアラビアに武器を供給し、軍隊を訓練し、サウジ王家と油田を守る

 その後、米国の財務長官がリヤドを訪れ、「米国がサウジアラビアに軍事援助する見返りとして、サウジは受け取った石油収入で米国債を購入し、ドルを米国へ還流させる」ことも、ひそかに付け加えられました。

 この密約は米国側にさまざまな利益をもたらしました。第1に、米国がサウジアラビアから十分な量の石油を、妥当な価格で、末永く輸入できること。そのうえ、米ドルでの石油取り引きは他の産油国にも広がり、世界最大の貿易商品である石油の決済通貨となったので、貿易における米ドルの地位が飛躍的に高まりました。

 第2に、サウジなどの湾岸諸国に軍事支援することにより、米国の覇権が中近東に広がったうえ、軍需産業も利益を受けました。

 第3に、石油を求める世界中の国が決済に必要な米ドルを手元に保有するため、米ドルの需要が飛躍的に増え、外貨準備通貨としての地位もいっそう高まりました。これらのおかげで、米ドルは金の裏付けを失った後も、「基軸通貨の地位」を維持できたのです。

 いや、金の裏付けを失ったからこそ、ドル紙幣をいくらでも印刷し、基軸通貨の特権を思う存分に享受できるようになった、と言うべきでしょう。まさに、いいことだらけ。キッシンジャー外交の輝かしい成果の一つだといわれています。

 1989年11月、東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」が崩れ、市民の手で国境検問所が解放されました。その2年後にはソ連が崩壊し、冷戦が終わりました。米ソの2極が対立を繰り返していた世界が、米国だけの1極支配になり、米ドルは文字通り「地球規模で通用する基軸通貨」になったのです。

 サウジとの密約は50年間の期限であり、今年6月で失効しました。この間に米国は地下のシェール層から石油を採掘する技術を確立し、輸出するほどの産油国になっていたので、密約の意義は小さくなっていました。すでに米ドルを基軸通貨とする仕組みがしっかりできあがっており、密約の失効はほとんど報道されることなく、ひっそりと使命を終えたのです。

 いまや米ドルはほとんど「無敵」です。おびやかすものは、一つしかありません。それは「金(ゴールド)」です。(以下、次号。サイト管理人・清水建宇)

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